スポンサード リンク

人は祖に基づき、祖は神に基づく

霊視、霊聴などの力は、霊能力と呼ばれ、その不思議な力の根源は霊界にあります。これらの不可思議な力は邪悪な霊によってもたらされ、この能力があるために人としての努力の道が損なわれます。お告げ依存、霊能力依存となるゆえに、怠り心が助長され、ますます邪神界につながるのです。霊的存在の声を霊能者や霊媒やチャネリングのような形で、常時、聞こうとする行為や、霊視、リモートビューイング、千里眼など、(なんと呼称しようが同じですが)そのような霊眼で見ることを常時、利用しようとする、その心が人生の本義から外れている邪道で、これらを禅宗では「魔境」と呼んでいるのです。


禅の戒める魔境とは?


禅の修行中にも未来が見えたり、霊と対話したりできる境地が開けることがありますが、禅ではこれをすべて「魔境」であると断じ、修行者にこのような世界とかかわることを厳禁しています。これは禅宗八百年の歴史の中で導き出された明察です。なぜならば、人間とは、この現実の世界で、この社会で、人間としての日常生活の中で魂を磨き、徳を積み、世に益する行為をする中で、霊的に成長するのが正道だからです。それ以外は邪道です。お釈迦様は六大神通力は方便でしかないと断じました。六大神通力とは天眼、天耳通力を含むもので、ようするに霊視、霊聴です。それを全部、本物じゃないといったのです。人間として日常生活の中で一生懸命に現実の努力を重ねるときに、天来のヒラメキと導きでぱっとわかって、正しい方向に自然に進むという神通力こそが本物です。エジソンのいう「99パーセントの汗と1パーセントのヒラメキ」です。これが正しいといったのです。


本当の守護霊や神社の神様が教えてくださる場合


正しい存在は、すべてこのような自然な日常生活のひらめきの形で教えます。なぜなら、お告げや霊視などで行うと、最初は良くても、必ずそのうちに魔が入るからです。神様だと思っていても、知らず知らず邪霊に入れ替わっているのです。邪霊にやられると、感情の起伏が激しくなり、イライラ、ヒステリーも出ます。人間として尊敬に値しない性質が出てきます。生活に歪みが出てきます。人間本来の道から外れた透視などの能力を使って便利にことをなそうとするのは、「怠り心」であり地獄への道なのです。道に外れた霊能者の多くは死後、地獄におちています。その理由は人間としての魂を磨く道から外れたからです。この世に生まれたら、この世の法則のもとで普通に努力して、試行錯誤する中で学び、成長して、魂を磨くべきなのに、霊視、霊聴などの力で怠り心を助長させて生きた罪です。


多くのカルトの実態


霊能力で人心服させるのは邪道です。霊は人間を化かします。そのため教祖自身がだまされています。お告げや霊言をいつも聞いてから行動する生き方そのものが間違いなので、最初は正神界とつながっていても、必ず邪神界に入れ替わるのです。霊は化けるし、偽の神仏、偽の守護霊になって、人を惑わすのです。まさに、日本昔話の世界です。そこに霊的な真実が秘められています。霊は化けるので歴史上の偉人になりすまして霊言やお告げするのです。「審神(さにわ)」の技術と経験が少しあればすぐに見破れるのですが、悲しいかな、それがないので、霊が化けている偉人の霊言を出し、世の人々をまどわします。本物は謙虚です。大言壮語はしません。大言壮語の霊言はニセモノです。正邪を判別する簡単な方法は教祖の生き方と日常生活の中にあります。親兄弟家族伴侶と調和しているのか。社会と調和しているのか。ニセモノは、その人から霊能力を除くと何も残りません。もし、まことの神とつながるものであれば芸術の才能があり、絵、書、詩、和歌、伝統芸能など芸術について、才能を磨いているはずです。それが神の世界の一面だから、本物の神とつながるような人物は、たとえば歴史上の白隠禅師が絵や書の達人であったように、また、弘法大師が三筆の一人であり、仏像彫刻にもすぐれ、語学にも優れたように、その足跡の中でその証明をしているものです。


祖先のはるかな先に神がある


いくら前向きな想念を出そうとしても、なぜか、マイナス思考ばかり湧いて来る人がいます。愚痴や不平不満がついつい湧いてきて、軌道修正ができない人がいます。この原因の多くは、邪霊が影響しています。マイナス霊がつくと、想念を暗い方向にひっぱるのです。プラス思考の大切さや、前向きに生きることを学んでも、なかなか気持ちが改善しない場合、マイナスに引っ張る邪霊の影響が考えられます。そういうものがプラス想念の回復の足を引っ張っている場合、パワースポットなどの圧倒的なプラスエネルギーのある場所でオーラをクリーニングする必要があります。神とは宇宙意識なのか?神を宇宙ととらえる人の想念世界ではイメージで神様と思っても宇宙の映像が出てくるのです。これでは幸運や開運のエネルギーを呼び込むことは難しくなります。あくまでも人格神との交流をめざすのが感謝の正しい方法です。


人格神を理解することが大切


人格をもった人、父母、家族、同僚、上司などの存在、そして守護霊、守護神、そこから先は、伊勢神宮であれば伊勢大神様、熱田神宮であれば熱田大神様といったように人格神を対象として感謝するのです。こうすると神霊の愛、智、意志が受け取れるようになります。気と法則と愛で成立している宇宙意識のどこの部分と交流すべきなのかという問題です。神道で「人は祖に基づき、祖は神に基づく」といいますが、私達は、私達の祖先につながっていて、その祖先は神につながっている。つまり、私達の先祖の大先祖のそのまた大先祖の大先祖が神様。その先の先に宇宙創造主の神様がいらっしゃるのだ」というイメージを持つことが、幸福と開運につながる感謝の仕方であり、祈り方なのです。人格をもった神霊という存在への感謝、祈りをするべきなのです。量子物理学的に考えすぎたり、宇宙空間をイメージすると、そのパワーは結局は次元の低い、おかしな存在にひっかかり、本質の道からどんどん外れていく結果になるようです。高級神霊との交流は、人格をもつ存在としての対話が不可欠です。自分を変えるにはいろいろな方法があるのですが、簡単なのに、あまり実行する人がいない方法が一つあります。それは素晴らしい存在にくっついていることで自然に感化されて変わる方法です。犬や猫は人間と暮らす内に深い愛情を受けると魂に個我が発達して、ついに群魂を抜けて個性をもち、次には人間に生まれてくるわけです。
スポンサード リンク



※著作権は放棄していません。ウェブサイト上の画像・文章などの転載、引用はお断りいたします。